一生逸品 FESTA MOBILE

 令和という新元号が幕を開けてから早いものでもう2ヶ月が経とうとしてますが皆様如何お過ごしでしょうか…。
 今年は例年に無い位遅く牛歩的な梅雨の到来やら、あたかも天変地異をも思わせる自然災害の頻発やらで様々な不穏な空気に満ちて気の滅入る様な6月でしたが、時季的にはいよいよ夏本番の到来が再び巡りつつあり、今までの鬱陶しい空模様と気分から抜け出して爽天の青空を希求したくなる…そんな清々しい気持ちに早く変わって欲しいものと願わんばかりです。
 生憎の空模様の下、陽光が燦々と降り注ぐ様な情熱の中に知的なクールさを兼ね備えたであろう、昨今の時節柄に相応しい70年代イタリアン・ロックの隠れた至高と至宝にして唯一無比の存在と言っても過言ではない、
テクニカル・シンフォニックの代名詞として今もなお語り草となっている“フェスタ・モビーレ”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

FESTA MOBILE/Diario Di Viaggio Della Festa Mobile(1973)

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     1.La Corte di Hon
     2.Canto
     3.Aristea
     4.Ljalja
     5.Ritorno


 70年代のイタリアン・ロックというキーワードから連想する言葉を述べよと問われたら、絢爛豪華、百花繚乱、複雑怪奇、そして栄枯盛衰…、とまあ自分が思いつく限りの四字熟語を羅列してみたが、その概ねは的を得た表現ではなかろうか。
 1973年、PFMのワールドワイドな進出の成功を皮切りに、当時俄かに降って沸いた様な第一次イタリアン・ロックブームの到来は、バンコ、ニュー・トロルス、オルメ、後にウーノ、ノヴァへと変遷を遂げるオザンナ、アレア、アルティ・エ・メスティエリ…等を多く輩出するに止まらず、イル・バレット・ディ・ブロンゾ、ラッテ・エ・ミエーレ、RDM、クエラ・ヴェッキア・ロッカンダ、メタモルフォシ、デリリウム、ジャンボ、果てはたった一枚限りのワンオフで短命ながらもムゼオ・ローゼンバッハ、チェルヴェロ、ビリエット・ペル・リンフェルノ、マクソフォーネ、チェレステ…etc、etc、あたかも我が世の春を謳歌するかの如く前途有望で希望と夢に満ち溢れていた逸材が互いに犇めき合っていたであろう、そんな至福に包まれた良き時代だったと思えてならない。

 そんな数多くもの名作名盤を世に遺した70年代イタリアン・ロックに於いて、素晴らしい名作級の作品であるという称賛を得ながらも…まあ不本意というか何というか、決して悪気があってという訳では無いせよ、見た目の印象の薄さ、インパクトに欠ける弱さ、貧相で地味なジャケットで幾分過小評価気味な分の悪さが災いして損をしている作品が若干数あるというのもまた然りであり、今回の主人公でもあるフェスタ・モビーレ、以前「一生逸品」でも取り挙げたカンポ・ディ・マルテ(別の意味でインパクトこそあれど、あれはビックリ人間ショー的な装丁だしね)、今後「一生逸品」にて取り挙げるラインナップでフォラス・ダクティルス、エドガー・アラン・ポー、アポテオジ辺りなんかは、音楽性の素晴らしさを差し引いてもジャケットやらヴィジュアル面が弱いよなぁというのが正直なところである(ごめんなさい!決して貶しているという意味ではありません、誤解無き様に…)。
 兎にも角にも謂れ無き不本意な扱われ方に加えて、今一つしっかりと真っ当な評価が成されていないであろう…イタリアン・ロックの栄光の片隅で陰ながらひっそりと佇む隠花植物の如き美学と才能にも今後は目を向けねばと思いつつ、もっと広い視野でイタリアン・ロックに歩み寄っていきたい意向である(アートワークのインパクト云々を抜きにして)。

 今回取り挙げるフェスタ・モビーレ(“移動祭日”の意)、1973年リリースのデヴューにして唯一作でもある『旅行日記』という…まんまストレートなアルバムタイトル通り日記帳がそのままジャケットアートに引用された、一見パッと見シンプルな意匠ながらも、肝心要の音楽性にあっては申し分無い位にメンバー全員の演奏技量とスキルの高さは折り紙付きであり、ロック、クラシック、ジャズ、コンテンポラリー等、多種多様(多種多才)な曲想と素養が凝縮された、ジャケットのシンプルさに相対し70年代イタリアン・ロック史に残る屈指の傑作である事はもはや明白と言わざるを得ない。
 彼等の経歴とその歩みは現時点で分かっている限りで恐縮だが、イタリア南部の港湾都市バーリを拠点にセッション・ミュージシャンとして活動していたFrancescoとGiovanniのBoccuzzi兄弟を筆頭に、1971年に結成されたフェスタ・モビーレの前身バンドTESTA MOBILEで幕を開ける事となる。
 幾度かのメンバーチェンジを経て、Boccuzzi兄弟、そして新たに専属ヴォーカリストとしてRenato Baldassarri、ギタリストにAlessio Alba、ドラマーにMaurizio Cobianchiという編成で、バンド名もフェスタ・モビーレに改め同時進行で音楽活動とライヴを開始し、翌1972年にナポリで開催された音楽祭で一躍注目を集め、時同じく旧知だったRCAイタリアーナの人伝を介して、翌1973年デヴュー作にして唯一作となった『Diario Di Viaggio Della Festa Mobile』をリリース。
 彼等の唯一作が日本に紹介された当初は、RCAイタリアーナのスタジオ・ミュージシャンの集合体バンドとして紹介され、成る程確かに一朝一夕では為し得ない位のテクニカルさと高度でハイレベルな演奏力に舌を巻いた事を昨日の様に記憶しているものの、今となってはそれらの事もお構い無しになる位だから、如何にイタリアン・ロック発掘期の80年代当初に於いて情報量の少なさと不確かな経歴が独り歩きしていたのかが納得出来よう。
 今こうしてある程度短命バンドのバイオグラフィーが判明出来る様になった事を思えば、これも単に今日のネット社会様様の恩恵の賜物であると言っても過言ではあるまい…。画像
 まあ、1971年当時Boccuzzi兄弟自身既にセッションミュージシャンとしての経歴と実力を兼ね備えていたのだから、一概にRCAイタリアーナ専属云々絡みやら何らかの関わり合いがあった事も否めないのだが。


       Francesco Boccuzzi:B, Key
       Giovanni Boccuzzi:Key
       Renato Baldassarri:Vo
       Alessio Alba:G
       Maurizio Cobianchi:Ds


 Boccuzzi兄弟によるツインキーボードの巧みさに加えて、終始徹頭徹尾に亘るテクニカルなピアノ重奏、フェンダーローズにチェンバロ、ストリングアンサンブル系シンセを要所々々に配しアクセントを利かせた、シンフォニックでありながらも非シンフォニックな側面をも垣間見せる意欲作に仕上げており、所詮はテクニカルなピアノだけが売りといった(所謂定番ともいえるハモンドやメロトロンが一切使用されていない事もあってか)悪口雑言めいた辛口プログレファンの低評価すらも180度覆す位のインパクトを有しており、眩惑的でめくるめく繰り広げられる“旅行日記”の世界観が存分に堪能出来る事必至であろう。

 彼等の音楽世界全開ともいえる冒頭1曲目を耳にした瞬間、けたたましくもせわしなく…目まぐるしく変拍子を利かせた超絶テクニカルで早弾きパッセージのダブルピアノの鍵盤乱れ打ちよろしくと言わんばかりに、Boccuzzi兄弟の技巧の応酬が縦横無尽に展開され、ヘヴィなメロディーラインにRenato Baldassarriのハイトーンヴォイスが高らかに謳われ(線の細い歌唱力に好みの差が分かれるところだが)、楽曲が一瞬断ち切られると同時に煌びやかで幻想的に奏でられるチェンバロの美しさは第一級品でまさしく得も言われぬ位に鳥肌ものである。
                 
 ダブルピアノにエフェクトをかけた様なベースラインの重々しさがカトリシズム的な神々しさを醸し出しているイントロの2曲目も聴き処満載である。
 ヴォーカルパート序盤に入ると同時に軽快でアップテンポ+ジャズィーなエッセンスが加味された曲想に転調し、中間部でフェンダーローズがさりげなくインサートされる心憎さも手伝って、タイトル通りの高らかなる歌声に呼応するかの如く、孤独な男の憂鬱を代弁するほろ苦くも渋い曲終盤のピアノの残響と余韻が印象的。
 感傷的で刹那な感のピアノのイントロが印象的な3曲目、アリステアなる女性に捧げたラヴバラード調ながらも、光と影或いは陰と陽の両面性すら窺わせ、後半部のストリングシンセとチェンバロによる直球のイタリアン・シンフォニックは白眉の出来栄えで、揺れ動く心を見透かされた様なピアノのフェードアウトも実に効果的である。
 3曲目に負けず劣らず4曲目も劇的で力強いピアノの好プレイに牽引され、カンタウトーレ風な歌心を聴かせるヴォーカルライン、更にはギミックを多用したストリングシンセの面白い使い方も然る事ながら、強固で的確なリズムセクションとギターの良い仕事っぷりには溜飲の下がる思いですらある。
 旅の終わり=さながら現実という時間への帰還を謳ったであろうラストを飾る5曲目は、アルバムの最後に相応しい8分半を越える長尺で、不安と憂鬱を漂わせた何とも意味あり気なピアノのイントロに、カリオン…或いはチューブラーベルが高らかに響鳴するや否や、4つの楽曲パートに分かれた構成でヴォーカルに重きを置いたパート、ジャズロック風なアプローチを試みたパート…云々を物語るかの様に、押しと引きの対比に混沌と光明の背中合わせとが渾然一体となった、紛れも無く彼等の技量と実力が濃密に凝縮された大曲にして、作品全体としての意味深な大団円をも彷彿とさせるテープの反復逆再生的な終焉も、まあ何ともはや実に興味深いところでもある。
                 
 デヴュー作リリースと時同じくして、おそらく同時進行で進められていたと思われるが、同RCAよりリリースされたロック・ミュージカルコメディーの舞台音楽『Jacopone Da Todi』にセッションマンとして参加するものの、あくまでミュージカルに主眼を置いた作品なので、フェスタ・モビーレ自体の音楽世界としては望むべくもないところであろう。
 こうして彼等フェスタ・モビーレ名義として最初で最後の唯一作、そしてミュージカル作品にセッションマンとして参加した後、理由こそ定かでは無いがRCAサイドと何らかのすったもんだの挙句バンドは自然消滅に近い形で解散し、Boccuzzi兄弟は心機一転活路を求めてEMIに移籍後、新たなリズム隊を加えた4人編成(Francesco Boccuzziはキーボードとギターを兼任)で、ジャズロック&クロスオーヴァー系大きな転身を遂げたIL BARICENTROを結成する。
 ちなみバンド名の意は“重心”との事だが、彼等の生まれ育った地元バーリという語呂合わせをもかけたとの見方もあって、まあ当たらずもとも遠からずといったところだろうか。
 1976年『Sconcerto』という素晴らしいプログレッシヴ・ジャズロックをリリースし、このまま順風満帆でいくのかと思いきや、翌1978年に数名のパーカッショニストを迎えてリリースした2作目『Trusciant』で、時流の波に乗った極ありきたりなムードミュージック風イージーリスニング・フュージョンへと辿ってしまい、ジャケットアートもなかなかのもので決して聴けなくは無いもののあきらかに音楽性とレベル共に低下してしまい、お世辞にもプログレッシヴ・ファンやリスナーには手放しでお奨め出来る代物でない事だけは確かな様だ…。
 その後IL BARICENTRO名義としては特に表立った活動は見受けられなかったが、5年後の1983年いきなりトリオ編成でリリースしたディスコミュージック調のシングル『Tittle Tattle』で再起を図るものの、結局は時代の流れに上手く乗れる事無く、フェスタ・モビーレからIL BARICENTRO…そしてBoccuzzi兄弟の飽くなき挑戦と創作活動の歩みはこうして敢え無く幕を下ろす事となる。
 21世紀の今日、唯一分かっているのはGiovanni Boccuzziのみがフィルム並びテレビの音楽関係で作曲を手掛けたり、コンピューター関連の音楽ソフトの開発、そして後進の育成から音楽教育活動までに至る多方面で精力的に創作活動しているとのこと。
 
 70年代当時、自国のロックに青春と情熱を捧げながらもたった一枚きりの作品を遺して自らの活動に幕を下ろしであろう幾数多もの短命バンド達。
 それでもいつの日か復活する事を夢見つつ永きに亘る深い眠りから目覚め、21世紀に復活再結成を遂げたアルファタウラス始め、RRR、ムゼオ・ローゼンバッハ、ビリエット・ペル・リンフェルノ、ムルプレ、チェレステ、レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ、そして昨今活動を再開し復帰を遂げたアルミノジェニとフォラス・ダクティルス…ひと昔前ならとても考えも予想も付かなかった事が起きている、まさに夢か現か何が起きてもおかしくない様なイタリアン・ロック至福の時代再来といった感であるが、もしもフェスタ・モビーレ…Boccuzzi兄弟に復活するか否かを問うたところで、きっと答えは“良くも悪くももう過去の事だし、あの時代だからこそ出来た作品だから…”と返答されるのが関の山であろう。
 いずれにせよ…ジャケットがシンプルであろうが地味であろうがイタリアン・ロックに燦然と輝く素晴らしい一枚である事に変わりはあるまいし、そう信じたいものと願って止まないのが正直なところである。

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