夢幻の楽師達 -Chapter 60-

 残暑の名残が感じられた9月も早いものでそろそろ終盤を迎え、日に々々本格的な秋めいた雰囲気が色濃くなりつつある昨今皆様如何お過ごしでしょうか…。
 待望ともいうべき芸術の秋にしてプログレッシヴの秋到来を告げるに相応しく、今回の「夢幻の楽師達」は実に4年振りに取り挙げるであろう…南米の欧州ことアルゼンチンから、ミアに続き70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期の立役者にして、今もなお絶大なる人気を誇り根強いファンや愛好者を獲得している、まさしく名実共に伝説的存在の称号に相応しい匠の集団でもある“クルーシス”に今一度栄光のスポットライトを当ててみたいと思います。

CRUCIS (ARGENTINA 1974~1977)

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 『Monthly Prog Notes』では過去に南米系の新譜や新鋭を何度か取り挙げてきたものの、「夢幻の楽師達」で南米…特にアルゼンチンのバンドに焦点を当てるのは2014年に取り挙げたミア以来、実に4年振りとなるであろうか。
 改めて年月と時間の経過に不思議な余韻というか感慨深い思いに捉われてしまう…。
 話は更に過去に遡るが、1984年の20歳の時分…もうその頃ともなるとプログレッシヴ&ユーロロックにどっぷりと浸かりきっていた時期で、若かりし頃の自分自身プログレッシヴ・ロックの持つ見果てぬ無限(夢幻)の世界に思いを馳せていたまだまだ青い若僧で、ちょうど折しもアンダーグランド宣言でプログレッシヴ専門誌となったマーキー(当時マーキームーン)との邂逅でプログレッシヴ熱がますます加速し燃えていた、ある意味に於いて情熱と青春真っ盛りだった頃と記憶している。
 リアルタイムの同時期にマーキー誌面上ではバカマルテやサグラドといったブラジル勢始め、ミアを始めとするアルゼンチン勢をメインとした中南米プログレッシヴが大々的に発掘され始め盛り上がっていた頃で、4年前ミアの時に綴った文面とやや重複するが、失礼ながらも海のものとも山のものとも付かない当時まだまだ未開のシーンに対し期待半分懐疑的な思いを抱いていたのが正直なところで、中南米=サンバやルンバといった太陽燦々で陽気なイメージといった浅はかな先入観しか抱いてなかったものの、時間が経つにつれて車が走り旅客機が飛んでいるところにはちゃんとロックを始めとするポピュラーミュージックだってあることをそれ相応に理解していたが故、いつの間にか中南米プログレッシヴに対する抵抗感はおろか許容し受け入れるまでに時間も要しなかったのだから、この時ばかりは柔軟な思考力も大切であると痛感した次第である(決して“ちゃっかり”という訳ではないが…)。

 前後して少しずつ中南米のシーンが発掘解明され、その全貌が明らかにされると同時に70年代アルゼンティーナ・プログレッシヴ黎明期を飾ったミアを始め、今回本篇の主人公でもあるクルーシス、そしてアラス、エスピリトゥが四本柱か四天王の如く紹介され、その高水準な完成度とハイレベルなクオリティーで少数精鋭ながらも瞬く間に注目された後、追随するかの様にパブロ・エル・エンテラドール、ラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス、ブブ、アウカン、エイヴ・ロック…etc、etcまでもが後発的に取り挙げられ、海を越えたイタリアやスペインといった同じラテン系に負けず劣らずアルゼンチンのプログレッシヴシーンはまさしく百花繚乱の様相で活気付いたのはもはや言うには及ぶまい。
 
 クルーシス結成までの経由に至っては詳細こそ明らかではないが、1974年に中心人物でもあり実質上バンドリーダーでもあったGustavo Montesano、そして先に挙げたラ・マキナ・デル・ハセル・パジャロス解散後ベーシストだったJose Luis Fernandezの両名を中心に結成され、アルゼンチン国内で精力的にギグを積み重ねながらも、リーダーGustavoを除いてメンバーが何度も入れ替わったりで(余談ながらも結成当初ギタリスト兼ヴォーカリストだったGustavo自身も、Joseの脱退後にベーシストへ転向)前途こそ多難であったが、1976年にかのRCAアルゼンティーナと正式契約を交わす頃にはGustavoが目指すべく理想的で強固なラインナップとなって、結成2年目にして漸くアルバムデヴューを飾る事となる。
 ちなみにクルーシスのデヴューに至るまでの間、彼等にとって大いなる助力でもありサジェスチョン的な役割を担ったであろう、アルゼンティーナ・プログレッシヴ界の実力者にして立役者でもあり、スイ・ヘネリスやラ・マキナのキーボーダーをも務めたCharlie Garciaの存在を抜きには語れない事も付け加えさせてもらいたい(Charlie自身、クルーシスのデヴュー作でモーグのプログラミングをも担当している)。画像




        Gustavo Montesano:B, Vo
        Pino Marrone:G, Vo
        Anibal Kerpel:Key
        Gonzalo Farrugia:Ds, Per




 1976年に自らのバンド名を冠して鳴り物入りでデヴューを飾り、イエス始めナイスやEL&P、果てはフォーカスから多大なる影響を受けた、そのブリティッシュナイズ+ヨーロピアンな佇まいすら想起させるであろう、純然たるプログレッシヴ・サウンドスピリッツ全開なヘヴィでメロディアスなコンセプトに、アルゼンチン国内の熱狂的なロックファンから絶大なる称賛が寄せられると同時に、同年Microfonレーベルからデヴューリリースしたエスピリトゥと共に今後への大きな期待と注目を集めるのは言うまでもなかった。
                 
 特筆すべきはクルーシスのデヴュー作が特殊なジャケットであった事が大きな話題となり、世界中のプログレッシヴ・ロック界広しと言えど…見開き含めて様々なギミックやら変形ジャケット、初回特典やらオマケつき等が数多く存在する中で、サディスティックな女王様が描かれた幾分倒錯的でSMチックなジャケットから中を引っ張ると、何ともう一枚…広重か北斎を思わせる鷲(鷹?)が描かれた日本画調のジャケットが出てくるといった凝った趣向となっており、彼等の幸先の良いスタートに繋がる上でも大きな要因となっている。 
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 彼等の人気を受け日本でも過去にUKエジソンから後にも先にもたった一度きりではあったが、国内盤仕様でデヴュー作と2ndの2作品をアナログLPでリイシューされた事があったものの、流石に鷲の描かれたジャケットまでには到底及ぶべくもなく、SM女王様ジャケットどまりだったのが何とも惜しまれる…。

画像 さて、肝心のクルーシスであるがデヴュー作の成功に気を良くした彼等は、その気運を追い風にデヴューライヴ活動と併行して、次回作の為のリハーサルを行い休む間も無く勢いに乗って間髪入れず矢継ぎ早に同年の半年後、2nd『Los Delirios Del Mariscal』をリリース。
 ややもすれば突貫工事めいたやっつけ仕事にも似た強行レコーディングを思わせながらも、ジャケットアート含めてサウンドワーク的にも前作と並んで甲乙付け難い、決して遜色の欠片すら微塵も感じさせない最高の仕上がりを見せる奇跡の偉業を彼等は難無く成し遂げる事となる。
 サウンド的にはフォーカスの『Mother Focus』、フィンチの3rd、そしてセバスチャン・ハーディーの2ndにも匹敵するであろう、前デヴュー作以上にソリーナ系のストリング・アンサンブルとエレピを多用した広大な音の広がりとメロウで甘美なメロディーラインをフィーチャリングした、名実共にアルゼンティーナ・プログレッシヴ史に残る傑作へと昇華する。
                 
 こうしてデヴューから僅かたった一年で2枚もの最高傑作をリリースした彼等は、翌1977年の1月にブエノスアイレスのルナパーク・スタジアムで開催されたロック・フェスティバルに参加し、満員熱気に包まれた聴衆の前で全身全霊を込めた最高のライヴパフォーマンスを繰り広げ、その輝けるステージを最後に…あたかも演れるべき事はもう全て演りきったと悟ったかの如く、クルーシスとしての活動を一切停止し程無くしてバンドの解体を決意。
 バンド解体後Montesano自身はソロ活動に入り、同77年にはかつてのクルーシスのバンドメイト始めCharlie Garcia、かつて苦楽を共にしたJose Luis Fernandez、アラスやその他大勢のアルゼンチン・プログレッシヴバンドから多数ものゲストを迎えて、実質上クルーシスの3枚目と捉えても差し支えない位の素晴らしいソロアルバム『Homenaje』をリリースする。
 そして3年後の1980年には同国のプログレッシヴ・フォークデュオのパストラルからAlejandro de Micheleを迎えたMontesanoによるプロジェクト・デュオのメルリン名義でラテンフレーヴァー溢れるプログレッシヴ・ポップス『Merlin』をリリースし、以後Montesanoは活動の拠点をスペインに移し幅広く様々なサウンドスタイルで活躍して今日までに至っている。
 肝心要のクルーシスの2枚の作品に至っては、前述の通り過去に日本盤仕様のシングルジャケットでリイシューされたアナログLP盤が確認されているが、それ以降ともなると正式な形でのCDリイシュー化はなされておらず、1995年にリリースされたベストアルバム形式の『Kronologia』は例外としても、アルゼンチンやベルギーでプレスされたリイシューCDですらもデヴュー作と2ndとの2in1形式による些かコンパクトでまとめられた…さながら一枚で二度美味しいといった安易なお得感しか残らない何ともトホホといった実情である。
 それでも昨年末に発掘音源ながらもリリースされたアーカイヴ・ライヴ音源の『EN VIVO ENERO 1977』の予期せぬ突然の到着は、ファンにとってはこの上無い朗報でもあり最高の贈り物となった事であろう。
 この流れが良い方向に向いてくれれば、近い将来マーキー/ベル・アンティークないしディスクユニオンから正規盤で完全オリジナル仕様に忠実に再現された紙ジャケットCDとしてリイシューされる事も夢ではあるまい…。
 それはもしかしたら決して叶わない夢であるかもしれないが、一縷の望みを託して今はただ奇跡を信じて待ち続けたいと思う。
 まさにそれこそがプログレッシヴ・ファンとしての冥利に尽きる事なのだから…。

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