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zoom RSS 夢幻の楽師達 −Chapter 48−

<<   作成日時 : 2016/09/27 14:56   >>

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 猛酷暑だった夏からいよいよ本格的な秋の到来…季節の変わり目真っ只中の今日この頃皆様如何お過ごしでしょうか。
 残暑に台風、そして秋雨前線と天候が不安定だった9月も終盤を迎え、日に々々肌寒さが感じられる様になって感傷的で叙情性豊かな…まさしくプログレッシヴの秋本番が再び巡ってきました。
 今回の「夢幻の楽師達」は70年代末期にほんの僅かなひと握りの栄光と煌めきを湛えつつも、自らの音楽世界と信念を全うし時代を駆け抜けていった、枯葉舞い散る秋空のフランスの牧歌的な心象風景とリリシズムを高らかに謳い上げた、正真正銘70年代フレンチ・シンフォニック最後の正統派とも言える“メモリアンス”に焦点を当ててみたいと思います。

MÉMORIANCE (FRANCE 1976〜1981)

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 年に何回か無性にフレンチ・プログレッシヴをとことん聴きたくなる時がある…。
 ロックテアトル系を含めたシンフォニックから、スペース&サイケデリックなゴング系、果てはザオを筆頭としたジャズロックと多岐に亘るが、ユーロピアン・ロックシーン人気を二分しているイタリアン・ロックとジャーマン・ロックから較べると、マグマ、ゴング、そしてアンジュといった大御所クラスを別格としても些か良くも悪くもフレンチ・ロック特有ともいえる“線が細いイメージ”といった印象は否めない(苦笑)。

 フレンチ・ロック…特に前述のロックテアトル系+シンフォニックに至っては、テアトルの祖アンジュを筆頭に、浮遊感の音宇宙を奏でるピュルサー、「シスター・ジェーン」のヒットで若々しい感性の発露ともいえるタイ・フォン、フランスのイエスと准えながらも独自のシンフォニックを追求したアトール、文芸路線と内省的でナイーヴな世界観を謳ったワパスー、それらに追随するかの如くカルプ・ディアン、モナ・リザ、シャイロック、79年から80年にかけて名を馳せたアジア・ミノールにウリュド、シノプシス、そしてワン・アンド・オンリーな単発系ながらもパンタクル、リパイユ、メタボリズム、アトランティーデ、アシントヤ、アラクノイ、テルパンドル、オパール、ウルタンベール、ステップ・アヘッド…etc、etcが、メジャーやマイナーといった垣根を問わずに一時代を築き上げ、1986年のムゼアレーベル設立以降〜21世紀今日のフレンチ・シンフォニックたる独特の流れと道筋を切り拓いてきた事は最早言うには及ぶまい。
 さて、そんな70年代半ばに隆盛を誇っていたフレンチ・シンフォニックが、世界的に席巻していたパンク&ニューウェイヴムーヴメントという時代の波の煽りを受け徐々に翳りが見え始めた時世を前後に、セーヌ川右岸の河口に位置するフランス北西部の港湾都市ル・アブールにてメモリアンスが結成されたのもちょうどこの頃と思われる。
 それはあたかもプログレ低迷期の救世主の如く“フレンチ・ロック伝統と正統派の後継者”として期待を一身に受け華々しくデヴューを飾る事となったと言っても過言ではあるまい。
 バンド結成の詳細な経緯とバイオグラフィーに関しては、残念ながらネットの時代である現在でさえも全くと言って良い位に解らずじまいで、兎にも角にも資料が少ないというか皆無に近い状態なのが困りものである…。
 ル・アブール出身という他に判明している点では、フランスの老舗ライヴハウスGolf Drouotクラブ(1972年にフィリップスからリリースされたコンピアルバム『Groovy Pop Session』でも有名)主催のコンテストで、LE TREMPLIN D'OR(金の踏切板賞)なる新人にとっては栄えある受賞を機にかのアトールと同じアラベラ・プロダクションに所属後、1976年にカルプ・ディアンやパンタクルを輩出したワーナーグループWEA傘下のEurodiscより念願のデヴュー作『Et Aprés…』で一躍メジャーシーンに躍り出る事となる。
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      Jean-Pierre Boulais
          :Lead & Rhythm Guitars, Vo
      Claude Letaillenter:Technics
      Jean-François Périer:Key, Vo
      Didier Guillaumat:Vo, Lead Guitars
      Didier Busson:Ds, Per
      Michel Aze:B, Vo


 鳴り物入りのデヴュー作となった『Et Aprés…』の評判は上々で、先輩格のアトールそしてパンタクルといった正統派フレンチ・シンフォニックに追随する形で、収録された全4曲とも10分前後の大作主義で(ラストの曲が最短で5分近い)フランス独特の抒情性と甘くどこか儚げなメロディーラインを伴ったリリシズムは、先人バンド達に負けず劣らずの及第点となったものの、いかんせんまだまだ二番煎じみたいな印象は否めないのが正直なところであろう。
                 
 演奏技量が未熟で力不足…所謂未完成の域といった感は拭い切れず、先人バンド達への憧憬やリスペクトという思いが強すぎる余りにどこか空回りしている部分が無きにしも非ず、聴き処こそ沢山あるものの初出の作品であるが故に反省すべき点こそ多々あるものの、彼等メモリアンス然り先人のワパスー或いはシノプシスとてデヴュー時は未熟で演奏力量に乏しいと評されながらもむしろそれが却って逆にフランス臭さむき出しで味わい深いところが良いとまで言われるのだから、フレンチ・ロックに限った話で恐縮だが損をしている半面それ相応に得をしている部分があるというのも誠に不思議なものである(苦笑)。
 未完の域ながらも精力的なギグの積み重ねでメモリアンスの知名度はフランス国内でもかなり浸透しつつあったものの、憶測の域で真偽の程は定かではないがツアースタッフとの間でゴタゴタといった揉め事があったり、レコード会社だったEurodiscの閉鎖と前後してメンバーが2名脱退するという度重なる悪循環に見舞われてデヴューの翌年以降からメモリアンスはすっかり表舞台から遠ざかり暫しの長き沈黙を守る事となる…。
 いろいろとすったもんだの挙句、外界からの余計な雑音を遮断するかの如く彼等はスタジオに籠りつつもデヴュー作での反省材料を糧に新曲を書き溜め、新たな2人のメンバーとしてPascal Libergé(Key)、Christophe Boulanger(Ds)を迎え入れ、度重なるリハーサルを経て次なる新譜リリースに向けて着々と準備を進めつつあった。
 余談ながらメンバーも知ってか知らずか、新譜の製作に日々を費やしている間ともなると、ギタリストのJean-Pierre BoulaisとベーシストのMichel Azeが創作活動の合間を縫って副業がてらに地元ル・アブールの新聞社にてコラムの執筆を始めたとか、次回作はプログレから脱却して思いっきりパンクなアルバムになるのだとか…と、まあ下世話なゴシップ大好きなフランス人らしく様々な音楽誌にていろいろと書かれ放題だった事も付け加えておかねばなるまい(個人的にはそっとしておいてやれば良いのに本当にプレス業界ってヒマ人ばかりなんだなァと思えてならない…)。
画像 そしてデヴューから3年後…70年代最後の1979年、様々な紆余曲折と試行錯誤を繰り返して難産の末に漸く待望の新作『L'Écume des Jours d'Apres Boris Vian』を、心機一転レコード会社も大手フィリップスに移籍してリリースする事となる(フィリップスへの移籍に関してはおそらくアンジュからの助力が働いたのではなかろうか)。
 タイトルから察する通り本作品はフランス芸能史きっての伝説級大御所ボリス・ヴィアン(俳優にしてシャンソン歌手、作詞作曲家、トランペット奏者、小説家、評論家と多彩な顔を持っている)作の小説「うたかたの日々(日々の泡)」を題材に、大作主義だった前デヴュー作から一転して全収録15曲とも3〜4分前後の小曲で占められコンパクトにまとめられたトータル作品。
 原作の持つイメージや世界観を決して損なう事無く、フレンチ・プログレッシヴ本来の持ち味の良さに時代相応の程良いポップとモダンさが加味され、メンバーチェンジが功を奏したのか演奏力も格段に向上し今後の展望に大きな弾みを付ける形となったのは言うまでも無かった。
                 
 この当時アトールの『Rock Puzzle 』、モナ・リザの『Vers Demain』、そしてタイ・フォンの『Last Flight』といった名立たるフレンチ・シンフォニックのベテラン勢が時代に則した大幅なサウンド転換とイメージチェンジを図るものの、ことごとく成功とは程遠い無残な結果を残し、ピュルサーも活動を休止し1981年に舞台向けの音楽で活動再開するまでの間長きに亘り沈黙を守るといったやや寂しい状況の中で、アンジュの『Guet-Apens』、そしてマイナーレーベルの範疇ながらもアジア・ミノールがデヴューを飾り、メモリアンスの2ndが気を吐いているといった様相で、80年代への足掛かりがまだしっかり繋がっていたそんな薄氷を踏む様な危うげな時代だったと思えてならない…。
 しかし…そんなメモリアンスの漲る自信と自負及び周囲からの期待とは裏腹に、渾身の入魂作ともいえる新譜2ndの売り上げは伸び悩み、当時のプログレッシヴ業界に付いて回っていた“素晴らしい音楽作品が決して売れるとは限らない”の言葉通りに、時代はもう既にメモリアンスの音楽…否!世界各国のプログレッシヴ・ムーヴメントをも見限ってしまったのかもしれない。
 まさしくアンダーグラウンドの片隅へと追いやられたプログレッシヴ・ロック冬の時代の到来となった次第である…。
 80年当初日本フォノグラムを経由してメモリアンスの2ndも国内盤として『うたかたの日々』という邦題でリリースされたものの、例によって日本フォノグラムの冷遇な所業とも思える、ジャケット裏をモノクロプリントしでかでかとライナーノーツ仕様にしたあたかも安物廉価盤みたいな装丁に、あの当時私を含めた日本中のユーロロックファンがどれだけ落胆した事だろうか(本当に願わくばあの当時の責任者を呼べ!と今でも声高に怒鳴りたい位だ)。
 最高の自信作と自負していただけにセールス的には失敗という憂き目を見たバンドサイドは、何もかも失望しいつの間にか自然と空中分解へという道を辿ってしまう。
 それでも時代に抗うかの様にギタリストのJean-Pierre BoulaisとベーシストのMichel Azeの2人のみによるメモリアンス名義で1981年にプログレッシヴの名残を残した唯一のポップスなシングル「Sparadrap/Téléphone」をリリースし、それ以後のメンバー全員の消息は私自身の努力の甲斐もなく未だに分からずじまいであるのが何とも悔やまれる…。

 21世紀の現在(いま)のフレンチ・シンフォニックに於いて、今なお現役バリバリに活動を維持しているアンジュを筆頭に、ピュルサー、アトール、タイ・フォン、そしてアジア・ミノールまでもが復活の狼煙を上げて活動再開を果たし、新世代旗手のネモ、デリュージョン・スクウヮードにギャンビットといったネオ・フレンチシンフォが台頭している昨今、かつて70年代のパンタクルやメモリアンスが持っていた…どこか素朴で牧歌的な、良い意味でフランス臭さむき出しの夢見心地で儚げなリリシズムを切々と謳い上げる抒情派シンフォニックを継承した新世代がそろそろ恋しくなってきたと言ったら、それは年輪を積み重ねてきた私自身が初老に差しかかったという表れなのだろうか(苦笑)。

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